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会報51-3 歴史の小箱 簒奪された国歌「君が代」

間野 洋[平成29年(2017)09月30日発行会報第51号から]

わが国の「国旗、国歌法」が交付されたのは、平成11年8月13日で、即日公布された。国旗・国歌は明治初期から慣習的に使用されていたが、初めて表記されたのは昭和57年の文部省の「小中学校学習要領」の中であり、また国旗の掲揚で、斉唱が義務付けられたのは平成元年です。

その後、いろいろな問題をかかえながら、明治以来、約100年を経て国旗、国歌は慣習法からやっと成文化された訳です。 それでは、国家の歌詞の原典は何処からきたのか?それは古今和歌集です。

古今和歌集は醍醐天皇の勅命により、「万葉集」撰ばれなかった古い時代の歌から撰者達の時代までの和歌を編集し905年に奏上された。(撰者は紀貫之ほか3名。)

古今和歌集は全20巻。この中の第7巻賀歌(がのうた)全22首の冒頭に、題しらずず、詠み人しらずとして【わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで】が記載されている。(賀歌とはわが君の長寿を願って儀式で謳われたもの。)

4人の撰者は「詠み人知らず」とは、本当に知らなかったのか、又は知っていても表に出せなかったのか???

さて、ここからは私の郷里福岡の話です。

約20年前、故・古田武彦(東北帝国大学文学部卒、高校教師を経て文献史学の活動を始める。)が古田史学会に発表さてた掲題の研究論文の要約を披露致します。

福岡市東区志賀島に「志賀海神社」があります。創建不詳で2世紀頃、神宮皇后の新羅出征のおり舵取りを務めた安曇磯良に帰国後志賀島に社を建てるよう指示したのが神社の始まりとされている。旧社格は官幣小社で宮司は代々安曇家が務めており、近年は志賀島全体が神域となっている。

志賀海神社には、年間約70もの祭事があり、このうち特別祭事として「山ほめ祭」がある。春(4月15日)、秋(11月17日)の春
秋に行われる。秋の祭祇では権禰宜(ごんのねぎ)が主唱し、社人が夫々の決まった役割を演じる。

先ず、志賀三山(勝山」、依笠山、御笠山」)をほめる(山ほめ)、次に鹿を射る所作(狩りの行事)、鯛を釣る所作(漁の行事)を行う。

次回はいよいよ本番、九州王朝に続く。

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