多摩学びのフェア2022
3月13日(日)多摩学びのフェアに参加しました。コロナ渦の中で2回目の開催となりましたが、天候に恵まれ、暖かい陽気に春の訪れが感じられました。
今回の会場は 例年と違い 大ホールでの本番となり 会場も広く 照明等の舞台設備を使用するなど、いつもより 大がかりの構成の為 身が引き締まる思いがしました。
開演時間を迎え、本番の幕があがり 第一声いを発するまで 緊張していましたが、それからは あっという間に時間が過ぎたように感じました。
終演を無事迎え、大ホールの客席に灯りが灯った時 さすがに満員とはいきませんでしたが コロナ渦の中 思ったより 多くのお客様がいらっしゃったことが 嬉しく。
又 近い将来 以前のような日常を取り戻し、このような舞台にて マスクを外したお客様の顔がみられることを強く願いました。
(文章:N)
2022年2月27日(日)「平和へのバトン~平和を願い、実現するための集い~」
麻生市民交流館 やまゆりにて
私は平凡なサラリーマンです。朗読劇など無縁で生きてきました。
コロナ禍在宅勤務が続き、「一市民として社会の諸問題に向き合いたい」「声を出したい」
そんな思いが募り、昨年6月りんどうに入れて頂きました。
早速頂いた「8月がくるたびに」の医師と語りの役。今まで頭の中だけで理解してきた戦争の理不尽さと
むごさに、長崎の原爆で被害を受けた市民の気持ちを自身の声で発するたびに、心が圧迫されました。
観客の皆さんを前にして、その圧迫感が更に増したのは不思議な感覚でした。
同時に、まだまだ表層でしか表現できていない自分が、もっともっと朗読表現の奥深さに触れられれば
いいなあと思いました。
同日のりんどうによる演目には、平和へのメッセージ「平和ってすてきだね」「土の笛」もありました。
朗読劇を通して、市民目線で観客の皆さんと平和への意識と願いを共有化できるんだっていう新鮮な驚き、
静かな中に人間の心に響くパワーを感じました。
この原稿を書いている今も、世界各地で戦争や内戦により苦しんでいる市民の方が大勢おられます。
りんどうという場で、そういった現実に向き合い、会員の皆さんとともに心で語りかけていけるよう
一歩一歩進んでみようと思います。
(文章:六信 厚)
丸山幼稚園ホールにて
私は「水曜日の山」と言うコロナ禍の人々の交流をえがいた朗読劇をやらせていただきました。
りんどうの会の新参者としては、観客の前に立つのは、まだ2回ほど、緊張感と期待感がないまぜになり、こんなにも心の起伏を感じるのは何十年ぶりだろう、と思いながらこの日を迎えました。
そして当日、な、なんとその会場には立派な舞台が!このような本格的な舞台で演じられることが大変嬉しく、「頑張らねば」という思いを、更に強くしたものでした。
私自身の出来、不出来はともかくとして、会の終了後「皆さん滑舌も良くて聴きやすかったです」というお客様のお褒めの言葉を遠くに聞きました。ほめられる、っていくつになっても嬉しいことですね!
りんどうに入会し、会員の皆さんの朗読への熱い思いを感じるにつけ、私の心は揺さぶられ続け、この出会いにあらためて感謝している次第です。
そして今回こんな素敵な会場をお貸し下さった丸山幼稚園さん、ありがとうございました。
(文章:千葉久美子)
2022年 あけましておめでとうございます。
昨年新しいメンバーを迎え、今年もりんどうは百合ヶ丘で元気に活動しております。
昨年の3月14日、15日に2年ぶりに開催されました 多摩市民館 課題別連携事業
たま学びのフェア2021は、コロナ禍でのワクチン接種が始まった頃でした。
多摩市民館の施設の一部でも接種真っ最中だったかと記憶しております。
りんどうのプログラム
平和について思うひと時 春を待つ
では、3.11東日本大震災にまつわる物語をふたつと、戦争の物語をふたつ。
使用される会場では、いらっしゃるお客様の検温、マスク着用、手指消毒、連絡先記入と、
今では当たり前になった感染対策を徹底した上での開催となりました。
そのような規制の中で、お客様に来ていただけるか不安もありましたが 3階大会議室の
会場は用意した席が全部埋まり、学びのフェアの実行委員会役員の方々も観に来てくださり
上演中、とても温かい雰囲気で見守られているような気持ちになった事を今こうしてここに書いていて思い出しました。
関わってくださった全ての皆様、ありがとうございました。
また今年も3月12日、13日にたま学びのフェアが開催予定です。
まだコロナはまわりをうろうろしていますが
健康第一で、少しずつ前に進んで行きたいと思います。
皆様の日常が心穏やかで健やかでありますように。
(文章 小山 羊子)
コロナの夏、公演を終えて
平出 圭
この春、テレビであるタレントが、リモートワークで営業を始めたセールスマンの友人の話をしていた。その友人はコンピューターの便利さと共に、デメリットとして“客の空気が読めない”と言っていたそうだ。空気・・・コミュニケーションはもとより舞台表現には大事な要素である――演者と観客が時と場所を共有することで、観客は演者の生きた表現にふれ、呼応し、それはまた跳ね返って演者を刺激し、表現の場には気の交流・交歓が生まれる――それこそが舞台芸術の存在意義であると思う。
だがコロナのせいで、この先、舞台の活動を諦めなければならないのか。
3月に参加を予定していた川崎市多摩区の「学びのフェア」は突然中止になり、最後の稽古時以来会えなくなっていた会員の方たちと、4月末にようやく集会をもてた。マスクの上からのぞくどの目も、久しぶりに顔を合わせられた懐かしさの中に、コロナ禍の日々の不安を湛えているようだった。
会議の議題は「今年の活動について」。新たな事業としては、舞台公演に固執せず録音図書の制作にも取り組むことにした。だが、今年12年目となる私たちりんどうは結成以来、夏には欠かさず朗読会を開いてきた。8月は戦争と平和を考える日本人にとって、ないがしろにしてはならない月だと思うからだ。 が、それも諦めなければならないのか・・・
この夏、朗読会を開催するか、しないか。会員の皆さんの意見は「朗読会決行」だった。「たとえ無観客でもいい、平和への思いを止めてはいけない」、そういう皆さんの熱く頼もしい言葉に背中を押され、この公演を決定した。
稽古場に多人数が集まらずに済む演目を探し、舞台上で密にならない演出を考えた。出演者にはマウスシールドを用意してもらい、不要と言われたアベノマスクも一ひねり工夫して使った。客席数の制限をし、近隣の方たちにだけご案内をし、ご来場の節はご予約をとお願いした。しかし今回、無事に本番を迎えられた一番の要因は、客席と舞台との間に設えるビニールのパーティションを使わせてもらえたことだ。NPO法人映像工房ペリのおかげに他ならない。K氏に心より感謝申し上げる。
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今年はりんどう結成12年、子年生まれの私にとっても意味ある年だ。その夏に、ハワイ真珠湾のミズーリ記念館で、広島市・長崎市による「原爆展」が初めて開催されたらしい(7月上旬~9月3日)。アメリカにとっては、奇襲攻撃を仕掛けた憎い日本を忘れない地パールハーバーで、アメリカが日本に投下した恐ろしい兵器、原爆の実態を展示する催しが開かれたのだ。
戦争は、勝っても負けても傷を負う
憎むべきは人ではない、戦争という行為そのものだ―
―被爆者でもある女性の言葉が胸にこだまする
2020年はアメリカも平和への歩みを一歩進めた年だと、そう胸に刻みたい。
「朗読の会・りんどう」の公演、寒い中30名ほどの方にご参加いただきました。
丸山幼稚園内ホールはとても心地よく、役者にとっては最高の環境です。
「新・戦争のつくりかた」は、「憲法」を変えて、「戦争ができる国」になっていく話で、今、現実に起きていることと重なり、実に怖い作品です。
終演後、被爆者の森政さんが「私の子どもの頃と全く同じです」とおっしゃっていたのが、きわめて印象的でした。
小川未明の「野ばら」と「兄弟の山鳩」、そして「アエイウエオア王物語」、いずれも観客の皆さんの心に届いたようで、大きな拍手をいただきました。
(文章:萩坂 心一)
3月は、多摩市民館で毎年行われている「学びのフェア」に参加させていただきました。参加も今年で3回目。
少しずつ、「りんどう」の名前を、皆様に覚えていただいているように思います。「ふたつの木の実」「つる」「七本の焼けイチョウ」等、戦争にまつわるお話をいくつか発表致しました。七本の焼けイチョウは、赤や黄色の布を使ったり、鳴子や鈴を使ったりと、朗読によって聞こえてくる物語が、より深く、広がりのあるものとして聴いてくださっている方に伝わればと思っておりましたが、いかがでしたでしょうか。
7月は、麻生市民館にて、りんどう定期公演がありました。
こちらは、お猿の親子の心温まるお話や、ちょっとスパイスが効いた「ランプ」等、バラエティに富んだ内容に。
中でもりんどうメンバー小山羊子氏が作成した「手作りまんどう」が大好評でした。個人的には、この公演時に詩を一人で読む機会をいただき、本番直前まで手に汗をかいていたことを覚えています。
りんどう公演時には、いつもお知らせのお手紙を送らせていただいています。
その準備をしているときに、これだけの方々が観に来てくださったり、気にしてくださっているのだなと思うと、感謝の念が堪えません。2019年8月に、朗読の会りんどうは十一周年を迎えました。これからも、コツコツ、活動を続けていければと思います。
(文章:野村 陽子)