2020年8月30日 「平和を思うひととき24」

                  コロナの夏、公演を終えて

                             平出 圭

 この春、テレビであるタレントが、リモートワークで営業を始めたセールスマンの友人の話をしていた。その友人はコンピューターの便利さと共に、デメリットとして“客の空気が読めない”と言っていたそうだ。空気・・・コミュニケーションはもとより舞台表現には大事な要素である――演者と観客が時と場所を共有することで、観客は演者の生きた表現にふれ、呼応し、それはまた跳ね返って演者を刺激し、表現の場には気の交流・交歓が生まれる――それこそが舞台芸術の存在意義であると思う。

 だがコロナのせいで、この先、舞台の活動を諦めなければならないのか。

 3月に参加を予定していた川崎市多摩区の「学びのフェア」は突然中止になり、最後の稽古時以来会えなくなっていた会員の方たちと、4月末にようやく集会をもてた。マスクの上からのぞくどの目も、久しぶりに顔を合わせられた懐かしさの中に、コロナ禍の日々の不安を湛えているようだった。

 会議の議題は「今年の活動について」。新たな事業としては、舞台公演に固執せず録音図書の制作にも取り組むことにした。だが、今年12年目となる私たちりんどうは結成以来、夏には欠かさず朗読会を開いてきた。8月は戦争と平和を考える日本人にとって、ないがしろにしてはならない月だと思うからだ。 が、それも諦めなければならないのか・・・

 この夏、朗読会を開催するか、しないか。会員の皆さんの意見は「朗読会決行」だった。「たとえ無観客でもいい、平和への思いを止めてはいけない」、そういう皆さんの熱く頼もしい言葉に背中を押され、この公演を決定した。

 稽古場に多人数が集まらずに済む演目を探し、舞台上で密にならない演出を考えた。出演者にはマウスシールドを用意してもらい、不要と言われたアベノマスクも一ひねり工夫して使った。客席数の制限をし、近隣の方たちにだけご案内をし、ご来場の節はご予約をとお願いした。しかし今回、無事に本番を迎えられた一番の要因は、客席と舞台との間に設えるビニールのパーティションを使わせてもらえたことだ。NPO法人映像工房ペリのおかげに他ならない。K氏に心より感謝申し上げる。 

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 今年はりんどう結成12年、子年生まれの私にとっても意味ある年だ。その夏に、ハワイ真珠湾のミズーリ記念館で、広島市・長崎市による「原爆展」が初めて開催されたらしい(7月上旬~9月3日)。アメリカにとっては、奇襲攻撃を仕掛けた憎い日本を忘れない地パールハーバーで、アメリカが日本に投下した恐ろしい兵器、原爆の実態を展示する催しが開かれたのだ。

  戦争は、勝っても負けても傷を負う

  憎むべきは人ではない、戦争という行為そのものだ―

    ―被爆者でもある女性の言葉が胸にこだまする

 2020年はアメリカも平和への歩みを一歩進めた年だと、そう胸に刻みたい。

 

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