● あらすじ: 出羽の国(山形県)・羽黒山の山伏が、大和(奈良県)の葛城山に峯入りする。折しも前後も覚束ない降雪のため岩陰に待機していると、里女が現れ女の庵に案内し、焚火してもてなす。そして雪の中集束した細枝を標〔しもと〕と呼ぶのだといい、「標結ふ葛城山に降る雪の、問なく時なく思ほゆるかな」という恋の古歌もあると教える。やがて、山伏が後夜(午前2~6時)の勤行にかかると、女は加持により三熱の苦しみから救って欲しいと頼む。訳を訊ねると、自分は葛城の神で、その昔、役の行者【(634(舒明天皇6年)生―?没】より山【二上山~金峰山(吉野)】に岩橋を架けよと言われたが、自分の醜い顔貌が恥ずかしく、昼間は岩戸に籠もり、橋を架けることが出来なかったので、その咎で、つた葛で縛られ、三熱の呪縛に苦しんでいると打ち明け、姿を消す。(後シテ)山伏は夜もすがら祈祷していると、葛城明神が現れ、祈祷を喜び、ここは高天の原であると言い、月の光に照らされた白銀の世界、遠く天の香具山も望む絶景を背景に大和舞を舞いますが、やがて夜が明ける前に再び岩戸の中に入っていった。
● 舞台の感想:。演技の技術的なことは判りませんが、能の舞台に満足し、師の舞に安堵と誇りを感じた。シテの謡と舞に鑑賞者は集中し、舞台では地謡、ワキ、ワキツレ(2)、囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)すべてがシテに呼吸と拍子を合わせ、鑑賞者は最初から最後まで舞台に惹き付けられているように見えた。シテは厳かに,神々しく、たっぷりと、謡い、舞いきったと言う印象で、台詞の声も聞きやすく、よく通り、分かり易く、鑑賞者は落ちこぼれがなく、演技の終わるまで集中しており、舞台と鑑賞者、会場全体が一体感でぴんと張った雰囲気が醸成されいる様に感じた。凄いことです。一つ付け加えますと、能舞台の増女(ぞうおんな)の面の葛城明神の容姿は醜いとは正反対の素晴らしく美しい女神でした。
世阿弥は芸能の本質は観客の心をつかむことだとし、それが能の存在意義であるとし、それを’花’と呼称した。何時も能の公演で思うことは、演技が会場の心を完全につかんだときは、オペラはスタンディング・オーベーション(”SO”)が起こる。オーケストラもフィギュアスケートも体操の競技も。世阿弥の時代を含め能楽の公演では’花’はあっても ”SO”は許されなかったのか、はたまた、誰もそこまでの’花’には至っていないのか? 何時になったら能楽堂で”SO”が見れる日が来るのか? 能舞台はその様なものではないのか? いつも能楽堂ではそんなことを考える。今年は4月に世阿弥生誕650年を記念し、新作能「世阿弥」が上演予定と聞く。梅原猛の作品を、能楽師・梅若玄祥が演出・主演し、現代人の心情に照らし現代の言葉で描くと報道されている。
● 謡曲・葛城の作者はこの物語で何を言わんとしているのか? 考えたが良く判らなかった。感想を書くに当たって困り、調べてみた。そして次のように結論づけた。 この物語の元の話は今昔物語(十一巻第三)によると男神であるが、能の作者は女神に仕立、序ノ舞を演じさせ演出の効果を高めた。ではなぜそこまでして言いたかったことはなんであるか?。『人間は悪いことをすれば、その罪を罰せられる。神も人間と同じ様に、悪いことをするとその罪の咎を背負う。女神も同じであり、天界における厳しい試練として三熱、五衰、女として五障などが更に加わる。しかし、加持祈祷し,改心すればその咎から解放されるが、もって生まれた性格までは変わらない。三熱の呪縛が解けても、明るくなると恥ずかしいのだ。山伏、修験者は神仏習合であり、この物語は神と仏の世界が組み込まれているために、謡曲「葛城」の理解を難しくしているのだろう。』(2013/02/02 宮崎正彬)