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第11回 特別企画展

柿生中学校70周年記念事業協賛特別展示
「戦中・戦後の教科書を見てみよう」

教科書展 柿生中学校は、昭和22年(1947年)4月、新制中学校の発足と同時に、新1年生のみでスタートした麻生区で唯一の中学校でした。ですから学年進行で1~3年生が揃ったのは、昭和24年と言うことになります。

 当時の柿生中学校に生徒として在籍した皆様は、御健在であれば、どなたも80歳代を迎えていらっしゃることになります。来年70周年を迎える柿生中学校が、創立当時どんな教科書を使い、どんな授業を行っていたのか、当時の小・中学校の教科書や戦争中の教科書などと見比べながら、考えてみること、場合によっては、当時を知る皆様から懐旧談を伺うなどのことが出来ればと考えたことが、この企画に繋がりました。

 しかし、どうやって70年前の教科書を探そうかと壁にぶつかっていた、そんな折に、琴平神社の先代宮司志村文雄氏と、文雄氏の妹さんたちが使われた教科書類約200冊が、同神社に保管されていることが分かり、宮司夫妻のご好意でそっくり拝借する事が出来たのです。

 史料館の力の限界で、戦中の小学校国定教科書や旧制中学校の検定教科書(中学校でも国定教科書が使われるようになるのは、昭和19年からです。)は、ごく一部しか揃えられず、新制度下の戦後の混乱期の教科書も、全てを揃えることは出来ませんでした。

 代わりに僅か4点ですが、明治・大正期の教科書を発見し、併せて展示する事が出来ましたし、こうした不完全な展示でも、当時の教育について、色々と発見できることもありました。

 例えば、昭和18年の中学校英語の教科書があります。この段階でなお、旧制中学校では、英語の授業が堂々と行われていたことを示す貴重な史料です。当時英語は敵性語であるからと、野球用語からもアウト、セーフ、ストライク、ボールなどの言葉を使えず、表現に苦労した話など、ご存知の方も多いと思います。庶民は英語を使うことを禁じられていた。にもかかわらず旧制中学生たちは、英語を勉強していたことが、ここから分かります。新制の義務教育化された中学校と違い、旧制中学校への進学者数は、小卒男児の10%に満たない、選ばれし者のみだったのです。庶民と違うエリートは、しっかり敵の言葉を学び、それを国家のために役立てなければならない。君たちは特別なんだ。こういう背景を伺い知ることが出来るのです。ところがそういうエリートに対しても、国史の教科書は、皇国史観に覆われています。国史教科書から、建武の中興と南北朝時代をご覧ください。ここには北朝の記述がすっぽり抜け落ちています。天皇家が皇位を巡って争った、骨肉の争いがあったこと、現在の皇統が後醍醐天皇の血を引く南朝の皇統ではなく、北朝の皇統であることは、エリートの卵である中学生にも、不要な知識であるとしていたのです。事実を知ること無くして、正しい判断は下せない。この厳然たる事実を枉げて悔いない悪癖が、ここには覗いています。

 新制度に移った戦後の教科書を見てみましょう。 昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、連合国軍による占領が終わるその日まで、日本の出版物は、全てGHQ(連合国軍日本占領軍司令部)の検閲の下にあり、この検閲は個人の信書にまで及んでいました。当然教科書も同様で、検閲で許可にならないと出版できなかったのです。その結果、新制中学校発足時、昭和22年の理科の教科書は、検閲許可がなかなか下りず、章ごとの分冊形式で発行されたのです。翌年の2年時の理科教科書も同様でした。同じことはGHQの強い指導で、歴史・地理などをまとめる形で誕生した社会科の教科書もまた、昭和23年に分冊形式で発行されています。どうぞじっくりご覧ください。

 地理の分野では、地図帳もまた教科書の一部で、戦争中は小学生用は国定でした。朝鮮半島や台湾は日本領土として描かれ、満州国も記載されているのですが、竹島や尖閣諸島は、記されていません。

 柿生中学校の生徒文集「うれ柿」の1号と2号、10号と11号も同時に展示してあります。どうぞ手にとってご覧になって下さい。

 なお、柿生郷土史料館では、企画展開会中も、埋もれている当時の教科書など、当時の学校関係の品々の探索を続けています。どこかに何かございましたら、どうぞお声をかけていただけると有難いです。よろしくお願いします。

期間: 10月29日(日)~1月22日(日) 

会場: 柿生郷土史料館特別展示室

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